PEOPLE
リモートで世界と働きながら、小布施にリアルな「場」をつくる
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パラレル型
Nagano/365
PROFILE
プロフィール
コワーキングスペース「ハウスホクサイ」運営管理
IT関連コンサルタント
塩澤 耕平
年齢/30代 家族構成/2人家族(妻)
デュアルライフ歴/2017年2月から平均週3日を長野県の小布施で過ごす。12月、小布施へ移住。移住後は月5日ほど仕事のために東京に滞在する。コロナ禍の今は休止中。
毎月の生活コスト/長野の住居費(5万円)、東京への交通費(約6万円)、東京宿泊費(3〜5万円)
――地域に人が集う「場」をつくりたいと、小布施に移住し、コワーキングスペース運営を始めた塩澤耕平さん。IT関連の仕事でオンラインを駆使しながら、リアルな場にしか生まれない力を感じている。カフェ開業に農業とフィールドをしなやかに広げながら、小布施でしかできない暮らしを楽しんでいた。
地域に「場」をつくりたい
晩年、小布施町で創作に打ち込んだ江戸の浮世絵師・葛飾北斎。その名前がついたコワーキングスペース「ハウスホクサイ」は、彼の天井絵「鳳凰図」が残る寺院、岩松院の向かいに立つ。
迎えてくれたのは、ハウスホクサイ管理人の塩澤耕平さん。2017年末、東京から小布施へ移住した。長野県出身だが、生まれ育ったのは駒ヶ根市。小布施に住み始めたきっかけは、まさにこの場所の再生にかかわったことだった。
「東京でITやマーケティングの仕事で独立したばかりの2017年、友人に誘われて『小布施若者会議』に参加しました。その年のテーマの一つが、“小布施にクリエイターが集まる拠点をつくろう”というもの。僕たちのチームは、『使われていない公共施設をコワーキングスペースにリノベーションする』というアイデアを提案したんです」
小布施若者会議は、全国の若者が小布施に2泊3日で集まって議論し、地域活性化のアイデア提案と実現を目指すプロジェクト。そこで生まれた塩澤さんチームのアイデアは、アイデアで終わらなかった。町の協力を得て、実際に半年かけて改装を実行。その間、塩澤さんも東京と往復し、週の半分は小布施で過ごした。
「滞在中は友人の家に泊めてもらいました。後で数えたら、トータルで93泊していましたね」
建物は着々と完成に近づいていた。が、肝心の運営者が決まらず、オープンのめどは立たないまま。一方で塩澤さんは場所ができあがるにつれて愛着が増し、小布施の街と人にも惹かれていった。
「小布施の人は、新しいことにノーと言わないんです。今、町のトップで活躍しているのは40年前から本気でまちづくりに取り組んできた方々。話していて刺激を受けるし、若い世代への期待も感じます。小布施堂のように、歴史がありながら新しい試みをしているおもしろい企業も多い。いつかは地域に根づいた仕事をしてみたいと思っていたから、この場所に巡り会えたのも縁だと、ハウスホクサイを運営してみようと思ったんです」
独立前、宮城県石巻市で震災復興に関わる新規IT事業に参加していた塩澤さん。石巻のカフェ「はまぐり堂」との出会いがきっかけで、「地域に場をつくる」ことに強く惹かれるようになったと振り返る。
「人生で一番素敵だと思ったカフェです。はたから見ると観光的資源がない場所に、こんなにも魅力ある場所をつくる。自分もこういう場所をつくりたい、地域で仕事をしたいと、強く思いました」
移住はグラデーションで始める
その年の末、小布施町の「地域おこし協力隊」に応募し、夫婦で移住。ハウスホクサイ管理を含むさまざまな町のプロジェクトに参画した。
……と言うとスムーズなようだが、妻は当初、移住に消極的。1年近く相談し、さまざまな方法を模索したいう。
「ハウスホクサイ改装中、妻はイギリスに留学していて、帰国後の仕事は未定でした。彼女は『田舎には住みたくない』と言っていたし、妻が東京で働きたいなら、東京と小布施に2つ家を持つことも考えていたんです。長野で暮らすにしても、長野駅近くのマンションに住んでもいい。東京にアクセスしやすいし、暮らしも便利ですから」
「移住はグラデーションで始めるのがいい」と考える塩澤さん。自身が半年以上東京から小布施に通ったように、いきなり引っ越す前に何度か足を運び、候補地域を3つぐらいに絞ったうえでそのうちのいくつかに住んでみるのがいいと話す。さらに、
「移住するにしても、まずは長野駅や松本駅付近など利便性の高いエリアをクッションにして、そこを拠点に郊外地域へも足を運んでみる。そこが良さそうだったらもう一度引っ越す。体験しながら、時間をかけて考えるのがいいと思います」
塩澤さんの妻は何度か小布施に足を運ぶうち、準備が進むハウスホクサイの様子、そして何より小布施町が「想像したほど田舎ではない」と知ったことから、小布施町に移住を決めた。
東京と小布施で収入のバランスを保ちながらデュアルワーク
妻は現在、東京拠点の企業に所属し、小布施で完全リモートワーク。仕事場はハウスホクサイの一角だ。塩澤さんも、ハウスホクサイをオフィスにして個人のIT業務を続けている。
「僕個人の収入の割合は地域おこし協力隊の活動経費が1/3、ITコンサルティング業が1/3、小布施で請けるようになった仕事が1/3。コワーキングスペース運営は高い収益は見込めませんが、コンサルティング業が収入のベースにあったから始めることができました」
コンサルティング業のクライアントは大半が首都圏の企業だが、仕事はコロナ禍前からオンラインで進めることが普通だったので不自由はない。むしろチームを組むエンジニアには、海外在住者も地方在住者もいる。居住地はハードルにならないと感じている。
とはいえ、時には東京で打ち合わせやクライアント企業のオフィスに定期的に常駐する必要もある。コロナ禍前は月2回のペースで新幹線に乗って東京へ行き、クライアントのオフィスやコワーキングスペース、ホテルを拠点に仕事をした。
「映画が好きなので、空き時間に長野ではかからないような映画を見たり、夜は友達が働くバーへ行ったり。東京でいろいろな仕事をしている友人たちと会うことで、新しい情報や視点をもらうこともある。大切なインプットの時間でした。
緊急事態宣言以降は東京へ行く機会はほぼありませんが、オンラインでさまざまなセミナーやイベントが行われるようになったから、どこにいても情報をキャッチしやすくなりましたね」
東京への交通費とホテル宿泊費で合計毎月10万円ほど。「すべて自腹。計算したくないですね」と笑うが、快適なデュアルライフを送るうえでの必要経費だと考えている。東京のマンションの家賃は12万円だったが、小布施で暮らすアパートは家賃5万円と、生活コストも下がった。
オンラインの利便性+リアルな「場」の力
オンラインで便利に仕事を進める一方、ハウスホクサイを始めてから、塩澤さんは「リアルな場」を持つ価値を実感している。
「会員数は多くないですが、移住者やリモートワーカー、アドレスホッピングで世界を回っている人など、僕と似た働き方の人が集まっています。皆さん、『ここが居場所になっている』と言ってくれて。石巻のカフェのように、場をつくることの意味や楽しさを感じています」
場所があり人が集まるから、プロジェクトも自然と生まれる。ウェブ分野に長けた人に地元の美術館「北斎館」のウェブサイトやネットショップの依頼があったり、塩澤さん自身も、「オブセ牛乳」など地元企業や店舗から相談を受けて仕事につながっている。
「場所があることは、やはり強いですよね。『あそこに行けば誰かに相談できる』と思えるから」
塩澤さんは今、新たな場づくりに取り組んでいる。新築中の自宅の一角を、念願のカフェにする計画を進めているのだ。現在は仕事の合間に、カフェで出すパウンドケーキやプリンの試作をしていると話してくれた。
「楽しみですね。石巻のカフェを見てから5年越しの計画が、ようやく実現に近づいてきました。ほかの仕事も続けるので、まずは週2日ペースで始めようと思っています。ちなみに購入した敷地内には栗畑もあって、秋は1カ月ずっと収穫と出荷に追われていました(笑)」
ITの仕事、コワーキングスペース運営、カフェ経営、そして農業。小布施に来て、どれだけ塩澤さんの活動は広がったのだろう。あくまでどれも「やりたい」がベースだが、長い目で見たキャリアのバランスも意識している。
「IT分野のスキルは30代までに一気に上がり、常に更新していかないと価値が下がっていきます。経営スキルも、50歳ぐらいがピークでしょう。一方でカフェや農業の仕事は、歳をとっても少しずつスキルアップしていける気がするんです。『本業を引退した後でカフェを始めては?』と言われることもありますが、今から始めておけば少しずつスキルを高めていける。そうやって、自分の中で仕事のバランスを保てることがいいと思っています」
塩澤さんが手帳の1ページを見せてくれた。毎週、見開き1ページに「今週のTo Do リスト」を書き出しているという。仕事の分野別に今週やることをたくさん書き連ねた中に、「枝落とし」「草刈り」というメモもあった。
「小布施に住んでから、畑仕事や家まわりを整える仕事が増えました。仕事と違って、やらなきゃいけないわけじゃないけどやっておいた方がいい、ということが多い(笑)。
東京と地方では、生きるルールが違う気がしています。僕には、地方のルールの方が合っていると思う。不満があるとすれば、なかなか映画館に行けないことぐらいでしょうか」